5月の連休前、
宮城県被災動物保護センターのあった県動物愛護センターに伺った。
被災動物保護センター解散式から約1か月。
とても爽やかな晴れの日だ。
「おー!!」
桜がやっと咲いた!
いつもの登り坂を越えると・・
眼の前には、満開の桜。
やっと春が来た。
しかし、今年の桜は遅かったな〜。
こちらの地域では、今年の開花は平成に入って一番遅かったらしい。
それだけ今年の冬は寒かった。。
↓↓(さぶ・・)
さて、昨3月で宮城県被災動物保護センターは閉所をむかえた。
あなたたちのひたむきな毎日があったからこそ、
大きな事故もなく保護センターが終了できたと思っています。
おつかれさま&本当にありがとう!!
・・そして、
私たちの活動に御理解を頂き、多大な御支援を下さった全国の皆さま。
遠いところから直接センターにいらして
シャンプーやお散歩などお手伝い下さった方々。
また、現地で直接行動はできないけれど、
少しでも何かに役立てて欲しいと届いた物資や御援助。
皆さんの思いを無駄にすまいと、私たちのエネルギーのひとつになっていました。
本当にありがとうございました。
最後に
宮城県獣医師会の先生方の皆さん。
そして宮城県動物愛護センターの皆さん。
なんとか無事終われましたネ。
ホントご苦労様でした。。
後日届いた写真。
センターの看板も役目を終えた・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現在、宮城県内の獣医師さんの中には
仮設住宅などで動物と共に生活している方への支援を続ける先生がいらっしゃる。
また、4月のはじめ。我々と同じ獣医さんの一人である
旭山動物園の小菅正夫前園長が
被災地の方々へと激励の講演会を開いてくださった。
これに御協力下さったのは岩手、宮城、福島、青森、秋田の獣医さん達。
(なんと1週間で計8か所講演という強行軍・・。)
小菅先生、本当にありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・先日行った南三陸町(旧志津川)。
‘防災対策庁舎’には、多くの人が花を手向けていた。
今回の震災では
「自分がどのように関わったらいいのか・・。」
おそらく、多くの方々がそれを考えたと思う。
自らの地元が被災地になった私たちも
「身近な人達が大きな被害に遭ってしまった。
自分はどうしたら役に立てる?」
そのことを一層強く考えた。
しかし、その問いかけは・・
「自分はどうして獣医になろうと思った?」
ということに、とても近い気がした。
〜第2部 おわり〜
宮城県被災動物保護センターのあった県動物愛護センターに伺った。
被災動物保護センター解散式から約1か月。
とても爽やかな晴れの日だ。
「おー!!」
桜がやっと咲いた!
いつもの登り坂を越えると・・
眼の前には、満開の桜。
やっと春が来た。
しかし、今年の桜は遅かったな〜。
こちらの地域では、今年の開花は平成に入って一番遅かったらしい。
それだけ今年の冬は寒かった。。
↓↓(さぶ・・)
さて、昨3月で宮城県被災動物保護センターは閉所をむかえた。
振り返れば、このセンターはたくさんの人たちに支えられた。
まずは雨の日も風の日も、(ギラギラの暑い日も、ビュービューの雪の日も)
懸命にいらして頂いたボランティアの皆さん。
↓ ↓
実際やってみて、つくづく分かったけれど
皆さんの御協力なくしては、絶対やっていけなかった。
センターに携わったみんなが明るく元気でやってこれたのは、
自らの意思でセンターに足を運んで頂いたボランティアの皆様のお陰。
何度もおんなじ言葉で申し訳ないのだけれど、
心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
また、多くの業者さまからは動物医療品や衛生用品を御提供頂いた
ことも忘れてはいけない。
(↓ センター閉所式での感謝状授与式)
↓ 専門学校の皆さんは、毎週応援に駆けつけてくれた。
・・。
そして、今回やっぱり御礼を言いたくて載せさせてもらった。
県獣医師会の臨時スタッフとして協力下さった心熱き助っ人の3名(+ )。
まずは雨の日も風の日も、(ギラギラの暑い日も、ビュービューの雪の日も)
懸命にいらして頂いたボランティアの皆さん。
↓ ↓
実際やってみて、つくづく分かったけれど
皆さんの御協力なくしては、絶対やっていけなかった。
センターに携わったみんなが明るく元気でやってこれたのは、
自らの意思でセンターに足を運んで頂いたボランティアの皆様のお陰。
何度もおんなじ言葉で申し訳ないのだけれど、
心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
また、多くの業者さまからは動物医療品や衛生用品を御提供頂いた
ことも忘れてはいけない。
(↓ センター閉所式での感謝状授与式)
↓ 専門学校の皆さんは、毎週応援に駆けつけてくれた。
・・。
そして、今回やっぱり御礼を言いたくて載せさせてもらった。
県獣医師会の臨時スタッフとして協力下さった心熱き助っ人の3名(+ )。
あなたたちのひたむきな毎日があったからこそ、
大きな事故もなく保護センターが終了できたと思っています。
おつかれさま&本当にありがとう!!
・・そして、
私たちの活動に御理解を頂き、多大な御支援を下さった全国の皆さま。
遠いところから直接センターにいらして
シャンプーやお散歩などお手伝い下さった方々。
また、現地で直接行動はできないけれど、
少しでも何かに役立てて欲しいと届いた物資や御援助。
皆さんの思いを無駄にすまいと、私たちのエネルギーのひとつになっていました。
本当にありがとうございました。
最後に
宮城県獣医師会の先生方の皆さん。
そして宮城県動物愛護センターの皆さん。
なんとか無事終われましたネ。
ホントご苦労様でした。。
後日届いた写真。
センターの看板も役目を終えた・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現在、宮城県内の獣医師さんの中には
仮設住宅などで動物と共に生活している方への支援を続ける先生がいらっしゃる。
また、4月のはじめ。我々と同じ獣医さんの一人である
旭山動物園の小菅正夫前園長が
被災地の方々へと激励の講演会を開いてくださった。
これに御協力下さったのは岩手、宮城、福島、青森、秋田の獣医さん達。
(なんと1週間で計8か所講演という強行軍・・。)
小菅先生、本当にありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・先日行った南三陸町(旧志津川)。
‘防災対策庁舎’には、多くの人が花を手向けていた。
今回の震災では
「自分がどのように関わったらいいのか・・。」
おそらく、多くの方々がそれを考えたと思う。
自らの地元が被災地になった私たちも
「身近な人達が大きな被害に遭ってしまった。
自分はどうしたら役に立てる?」
そのことを一層強く考えた。
しかし、その問いかけは・・
「自分はどうして獣医になろうと思った?」
ということに、とても近い気がした。
〜第2部 おわり〜